音楽と日常

〜ロングバケーション〜人生2度目の入院生活

〜ロングバケーション〜 人生2度目の入院生活

僕はいま目を開いた 夢の中 遠くバカンス続行中

サニーサイドアップ 部屋の中 今日も休息に没頭する

RIP SLYME、いいですね。今の若者は聞くのかな。ゆるさとエロさとたまのシリウスさが絶妙マッチングで学生時代ガンガン聴きまくっていました。

RIPは社会人になっても私を励ましてくれました。特に人生2度目の入院生活をした時は毎日RIPを、「ロングバケーション」を毎日毎日聴き続けたものです。

初めての東京。初めての社会人。私は壊れる

東京には就職を機に上京。初めての一人暮らし、初めての社会人。不安が多くて、でも私の目の中には期待もあった。

バリバリの営業会社だった。なぜそこに就職を決めたのかというと、当時一人暮らしをしたくてたまらなかった私は地元九州に支社がなかったのと、社長の考えに共感(新卒あるある)、人材系の会社に興味があったのもありそこに決めたのだった。

ほんとは大阪とか九州に近い支社がよかったが東京支社に決まり、若干の戸惑いはあったけど楽観的な私は「シティやん!!やっほい!」と意気揚々上京を決めた。

けれどそのやっほい感も入社1週間まで。会社は絵に描いたようなブラック企業だった。

入社2ヶ月後。私は外回りをしていた。お手洗いに行きたいと思い近くの商業施設のトイレに入った。個室に入りそこで私はなぜか泣いていた。別に悲しくもないし痛くもない、けれど涙が止まらない。立ち上がれない。

1時間そこにいた。同期に「やばい、トイレから出られん」とメールをし、迎えに来てもらった。一緒に名刺集めをなんとか頑張り支社に戻ったが支店長の前で私は泣いてしまった。

そこからよく熱を出すようになった。腹痛がずっと続き、それでも会社に行った。外回りをすると泣き癖がつき、ある朝ベッドから起き上がれなくなってしまいズル休みもした。

初めまして盲腸さん

腹痛が2ヶ月くらいずっと続いた。「え、死ぬのかな私」と極端な考えを抱き近くの内科を受診した。そこで先生に言われた一言。「う〜んこれは虫垂(盲腸)が腫れてる可能性大ねぇ〜これはやばいね〜早急に、手術してください。」

え?盲腸?え?ソウキュウニ?シュジュツ?

虫垂炎だった。あ、これよく聞くやつぅ〜とホッとしたのか私は謎テンションのまま支店長に電話、家族にも連絡をし、紹介された隣駅の外科で手術を受けることになった。

その翌々日、母が東京まで来てくれて、そこから退院するまでの約1週間、毎日我が家から病院までお世話をしに来てくれた。本当に感謝しかない。

手術当日。私の手術イメージは「手術室入って、き、気づいたら病室のベッドに!」(以前の別の手術がそうだった)だったのだが今回は違った。

下半身麻酔のため頭が冴えまくっている。術中お腹から下がなんか変だ。引っ張られている。なにこれ。え、なにこれ。

主治医がかなりユニークな先生でいちいち「今お腹をね!切ってるからね!」とか実況してくるのだ。しまいには私の切られた盲腸の一部を見せて来て「ほらこんなに腫れてる!よかったね破裂しないで!」とかホラーなことを言いながら私の臓器を見せてくるのだ。

恥ずかしい。なんだかとっても恥ずかしい。と同時に「は、初めまして盲腸さん!!」とか朦朧とした意識の中で自分の体に挨拶をしたりもした。

あまちゃんで起きてロングバケーションで眠る毎日

手術も無事に成功した。最初はご飯も食べれずよくわからん汁を飲み続けた。麻酔の影響で起き上がれないほどの頭痛が毎日酷く、トイレに行くのもやっとだった。友達が来てくれたがしっかりとした挨拶もできず、代わりにコミュ力抜群な母が対応してくれた。

そんな私の毎日はあまちゃんから始まった。ここであまちゃんにハマりのんちゃん(当時は能年玲奈)にハマる。母が来ること以外は暇で、だけど頭が痛いからスマホも見れなかったのでずっと小さい音量で音楽を聞いていた。その時に聞いていたのが「ロングバケーション」だった。

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友達が送ってくれた「ちばりよ(沖縄の言葉で、頑張れの意味)Tシャツ」着て頑張る寝癖だらけな私

これは神様がくれた休暇、とか

ロングバケーションの歌詞はただのサボってる歌にも聞けるし失恋の歌にも聞ける。ただ当時の私にはぴったりな歌だったので毎日ずっと聞いていた。

これは神様がくれた休暇。東京に来てはや4ヶ月。毎日必死だった。色んなことに戸惑い焦っていた。身体が休め!と危険信号を出してくれたのかもしれない。

今はたまの体調不良には素直に休むように従っている。我慢しやすい性格だからありがたい。

退院後は実家に1週間帰省し、退職して九州に戻るか悩んだがもう少し続けてみようと復帰。

同期もどんどん辞めたりして、私もあまり長くは続かなかったがあそこで外に飛び込む度胸はついたようにも思える。

そして私はなんだかんだ今でも東京に残っている。好きな仕事を見つけることができている。この先何があるかわからんけど、体は大切に、たまのバケーションも大切にしていこうと思った(なんていい締め)。